2008.03.14 (Fri)
3月の関西 奈良『法隆寺』『中宮寺』編
京都と別の日なので、雨天
になっちゃいました
歴史(日本史)の試験に出る、法隆寺です。
観光ツアーではなかなか見ませんね・・・・。JR法隆寺駅の屋根は
法隆寺をイメージした瓦屋根になっています。
本来はバスで行くらしいんですけど、よく分からず歩いてしまいました・・・。(反対側がバス乗り場だったらしい)
法隆寺の入り口です。
本当は松並木の中を歩きたかったけど、雨天で断念・・・。歩いていくと
かなり色が薄れていて、肉眼でも読みにくいカンジでした(読んでいない(爆))

法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築として広く知られています。その創建の由来は「金堂(こんどう)」の東の間に安置されている「薬師如来像(やくしにょらいぞう)」の光背銘(こうはいめい)や『法隆寺伽藍縁起并流記資材帳(ほうりゅうじがらんえんぎならびにるきしざいちょう)』(747)の縁起文(えんぎもん)によって知ることができます。
それによりますと用明天皇(ようめいてんのう)が自らのご病気の平癒を祈って寺と仏像を作ることを誓願されましたが、その実現をみないままに崩御されたといいます。そこで推古天皇(すいこてんのう)と聖徳太子(しょうとくたいし)が用明天皇のご遺願を継いで、推古15年(607)に寺とその本尊「薬師如来」を造られたのがこの法隆寺(斑鳩寺とも呼ばれています)であると伝えています。
現在、法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍(さいいんがらん)と、夢殿を中心とした東院伽藍(とういんがらん)に分けられています。広さ約18万7千平方メートルの境内には、飛鳥時代を始めとする各時代の粋を集めた建造物が軒をつらね、たくさんの宝物類が伝来しています。国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190件、点数にして2300余点に及んでいます。
このように法隆寺は聖徳太子が建立された寺院として、1400年に及ぶかがやかしい伝統を今に誇り、とくに1993年12月には、ユネスコの世界文化遺産のリストに日本で初めて登録されるなど、世界的な仏教文化の宝庫として人々の注目を集めています。
パンフより

歩いていくと、南大門が見えてきます。何とか雨があがってきました
ここではまだ、観光バスが見当たりませんでした。違うところから入ってしまうのかも?全然人がいなくて(雨だからかな?)うまく写真が撮れました

南大門<なんだいもん>(室町時代)
法隆寺の玄関にあたるこの門は永享10年(1438)に再建されたものです。パンフより

南大門のところに告知が・・・
現在、金堂が工事中で、金堂にある釈迦三尊像は上御堂に安置しているとの旨が書かれていました。
法隆寺の伽藍配置図です。法隆寺、かなり広いから、今回は3時間ちょいくらいでしたけど、全然まわり切れません・・・。西円堂を今回、いきそびれてしまいました
南大門をくぐっていくと、中門が見えてきます。後ろに五重塔も見えます。

中門<ちゅうもん>及び廻廊<かいろう>(飛鳥時代)
深く覆いかぶさった軒、その下の組物や勾欄(こうらん)、それを支えるエンタシスの柱、いずれも飛鳥建築の粋を集めたものです。重厚な扉と左右に立つ塑像(そぞう)の金剛力士像(こんごうりきしぞう-飛鳥時代)は、東西にのびた廻廊の連子窓(れんしまど)と対照的な組み合わせで、並列して建つ塔と金堂を壮麗に包み込んでいます。
パンフより

中門の隣には「日本最初の世界遺産」の碑が立っていました。
ここから拝観料を払って、中に入っていきます。
まず、最初に見えるのが五重塔。

五重塔<ごじゅうのとう>(飛鳥時代)
塔はストゥーバともいわれ、釈尊(しゃくそん)の遺骨を奉安するためのものであり、仏教寺院において最も重要な建物とされています。高さは31.5メートル(基壇(きだん)上より)で、わが国最古の五重塔として知られています。
この最下層の内陣には、奈良時代のはじめに作られた塑像群があり、東面は維摩居士(ゆいまこじ)と文殊菩薩(もんじゅぼさつ)が問答、北面は釈尊が入滅(にゅうめつ)、西面は釈尊遺骨(舎利-しゃり-)の分割、南面は弥勒菩薩(みろくぼさつ)の説法などの場面が表現されています。
パンフより

法隆寺の五重塔は外から見られるようになっています。五重塔の中は、東寺 とは異なり、石の中に仏像が彫られているといった雰囲気でした。ちゃんと意味がパンフに書いてあったんですね現場でよく読めばよかった・・・
次は隣の金堂に行きますが・・・金堂は工事中なので、閉められていました。でも、工事と言っても、囲われてしまっているワケではないので、外観を確認することが出来ます。でも、やっぱり中も見てみたかったですね・・・。残念

金堂<こんどう>(飛鳥時代)
法隆寺のご本尊を安置する聖なる殿堂が金堂です。威風堂々としたこの建物の中には、聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像(こんどうしゃかさんぞんぞう-飛鳥時代-)、太子の父君用明天皇のために造られた金銅薬師如来坐像(こんどうやくしにょらいざぞう-飛鳥時代-)、母君穴穂部間人皇后(あなほべのはしひとこうごう)のために造られた金銅阿弥陀如来坐像(こんどうあみだにょらいざぞう-鎌倉時代-)、それを守護するように、樟(くす)で造られたわが国最古の四天王像(してんのうぞう-白鳳時代-)が、邪鬼(じゃき)の背に静かに立っています。そのほか木造吉祥天立像(きちじょうてんりゅうぞう)・毘沙門天立像(びしゃもんてんりつぞう-平安時代)が安置されています。
また天井には、天人(てんにん)と鳳凰(ほうおう)が飛び交う西域色豊かな天蓋(てんがい)が吊るされ、周囲の壁面には、世界的に有名な壁画(昭和24年焼損、現在はパネルに画かれた再現壁画がはめ込まれています)が描かれ、創建当初の美しさが偲ばれます。パンフより



大講堂<だいこうどう>(平安時代)
このお堂は仏教の学問を研鑽(けんさん)したり、法要を行う施設として建立されましたが、鐘楼(しょうろう)とともに延長3年(925)に落雷によって焼失しました。幸い正暦元年(990)には再建され、ご本尊の薬師三尊像(やくしさんぞんぞう)及び四天王像もその時に作られています。
パンフより


鐘楼<しょうろう>(平安時代)
この鐘楼の中に吊るされている白鳳時代の梵鐘(ぼんしょう)は、今なお当時の音色を響かせています。
パンフより

金堂が工事中なので、金銅釈迦三尊像が安置されている上御堂へ。
目の前の階段を掃除している方がいると思いますが、法隆寺ではこういうおじさんに必ず「よく見ていってね~来てくれてありがとう~」って言われました渋谷行く格好で法隆寺行っちゃったんですけど、やっぱり周りはお年寄りの団体・・・たまに学生の卒業旅行っぽい人もいましたが・・・目立つんですかねぇ
金銅釈迦三尊像、そんなに大きくないんですけど、今の仏像とは違って顔も細いし、見ごたえありました!『大講堂』の仏像を「ここはそんな大したことがない、こっち(金銅釈迦三尊像)がすごいんだから!!」って言っている、観光タクシーの運転手さんもいました(爆)

上御堂<かみのみどう>(鎌倉時代)
このお堂は奈良時代、天武天皇(てんむてんのう)の皇子である舎人親王(とねりしんのう)の発願によって建立されたと伝えられていますが、現在の建物は鎌倉時代に再建されたものです。その堂内には平安時代の釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)と室町時代の四天王像が安置されています。
パンフより

上御堂を出て、もう一度西院伽藍へ
今度はさっきよりも詳しく見てみました
そろそろ西院伽藍を出て、聖霊院へ。
御朱印帳を持っている人はここで書いてもらいます。ここには有名な聖徳太子の像が安置されているのですが、扉が閉じられて、見られなくなっていました。すぐ横に写真があり、それで確認すると言ったカンジですね

聖霊院<しょうりょういん>(鎌倉時代)
東西の廻廊(かいろう)の外側には、それぞれ東室(ひがしむろ)・西室(にしむろ)と言う南北に細長い建物があります。それらは僧侶の住居でありましたから僧房(そうぼう)と呼んでいます。とくに鎌倉時代の聖徳太子信仰の高揚にともなって、聖徳太子の尊像(平安末期)を安置するために、東室の南端部を改造したのがこの聖霊院です。
パンフより

聖霊院をでたあとは、『大宝蔵院』へ行きます。ここは最近出来たところみたいで、オイラが子供の頃に行った時はなかったみたいです。大宝蔵院入り口でこんなものが
これは厩戸皇子(聖徳太子)とお馬さんのよぉな???特別、解説もなくて、なんだかよく分かりませんが、古そうですね・・・・。

大宝蔵院<だいほうぞういん>
聖霊院から東に進むと宝物庫である綱封蔵(こうふうぞう-平安時代-)があります。その手前を北に進むと、食堂(じきどう-奈良時代-)や細殿(ほそどの-鎌倉時代-)などの建物の奥に新しい伽藍が見えてきます。ここが平成10年に落成した百済観音堂(くだらかんのんどう)を中心とする大宝蔵院です。建物の内部には、有名な夢違観音像(ゆめちがいかんのんぞう-白鳳時代-)・推古天皇御所持の仏殿と伝える玉虫厨子(たまむしのずし-飛鳥時代-)・蓮池の上に座す金堂阿弥陀三尊像(こんどうあみださんぞんぞう)を本尊とする橘夫人厨子(たちばなぶにんのずし-白鳳時代-)をはじめ百万塔(ひゃくまんとう)・中国から伝えられた白壇作りの九面観音像(くめんかんのんぞう)・天人の描かれた金堂小壁画(こんどうしょうへきが)など、わが国を代表する宝物類を多数安置しています。飛鳥時代から近世に至るこれらの宝物は、1400年に及ぶ宝竜寺の信仰の遺産であり、法隆寺の歩んだ道のりをうかがわせる貴重な宝物と言えましょう。
パンフより

建物自体は新しいのでどぉでもいいんですけど(笑)中の宝物は本当にすごいです。ちょっとした古美術館飛鳥時代の仏像は今と違う雰囲気だから、見ていて趣きがあるのだ・・・。法隆寺の拝観料って1000円もするけど、これだけの古代の仏像が見られるなら1000円でもいいかな~?って思わせてくれます。西院伽藍を回っているころ、観光ツアーの人の話が聞こえてきちゃったんだけど、おばちゃんが「玉虫厨子ってどこにあるんですか?」って聞いたら、バスガイドさん「わたしもぉ~来たの修学旅行以来だから、分からないんですぅぅ~」っておいっっ!ちなみに玉虫厨子はこの大宝蔵院にあります。教科書で見ると小さいイメージだけど、かなり大きいんだよ~~。
大宝蔵院を出て、いよいよ東院伽藍(夢殿)へ
拝観料はすべて共通です(でも、チケットを見せる必要があるよぉ~)夢殿は昔、お札に印刷されていたみたいだけど、オイラはそんな時代は知りません夢殿まで来ると、雨がかなりすごくなっていて、廻廊はほとんど見てこなかった
残念・・・。今度は晴れた時に行きたい(子供の頃行った時も雨だった
)

夢殿<ゆめどの>(奈良時代)
西暦601年に造営された斑鳩宮(いかるがみや)跡に、行信僧都(ぎょうしんそうず)という高僧が、聖徳太子の遺徳を偲んで天平11年(739)に建てた伽藍を上宮王院(じょうぐうおういん)といいます。その中心となる建物がこの夢殿です。八角円堂(はちかくえんどう)の中央の厨子(ずし)には、聖徳太子等身の秘仏救世観音像(くぜかんのんぞう-飛鳥時代)を安置し、その周囲には聖観音菩薩像(しょうかんのんぼさつぞう-平安時代-)、聖徳太子の孝養像(こうようぞう-鎌倉時代-)、乾漆の行信僧都像(ぎょうしんそうずぞう-奈良時代-)、平安時代に夢殿の修理をされた道詮律師(どうせんりっし)の塑像(平安時代)なども安置しています。この夢殿は中門(ちゅうもん)を改造した礼堂(らいどう-鎌倉時代-)と廻廊に囲まれ、まさに観音の化身(けしん)と伝える聖徳太子を、供養するための殿堂としてふさわしい神秘的な雰囲気を漂わせています。
パンフより

ここで法隆寺は終了です。(見忘れた箇所もあったけど・・・)
法隆寺の隣に『中宮寺』があります。
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック